ブラック研究室の僕が最速で就職を決めた話
今記事の目次は以下の通り。
こんばんは。日記がてらに書いてます。
まず、初めに断っておくとタイトルに「ブラック研究室」とありますが
自分自身にその認識はなく、むしろ最高の環境だと思ってます。
前置きはこれくらいにしてまずは自己紹介。
自己紹介
2020年度卒のM1(2019年3月時点)
大学の偏差値は45くらい?40?よく分からん。
研究は材料系(狭い分野などでここでは割愛)
B4~M1の研究発表は計5回(国内外部4回、学内1回)
受賞歴はポスター最優秀賞×2、学生講演最優秀賞×1
就活の流れ
就活っていうかM1の1年間をまとめるとこんな感じ。
多分、そこら辺の理系院生の中でも割かし(?)忙しかった部類?
てか、研究室のコアタイムが月~土の10~18時だし、年間休日何日だよっていうね。
4~6月:企業研究
企業研究っていっても大したことはしてない。
B4からだけど、大きな展示会は結構勉強になった。
就活フェア(笑)説明会(笑)とか行くなら会社員が来るような業界の
セミナーとか展示会に行った方が数百倍マシ。
6~9月:インターンシップ
理系はインターンシップ行かなくても就活出来るとかいうけど、絶対に行った方がいい。だって、実質 就活だもん。
受けた企業の倍率は〇十倍で結構高いらしい。
まぁ、全国のどこに飛んでも交通費、宿泊費&お小遣いでて実質+だもんね。
インターンシップは自分の場合はガチガチの成果主義っていうかそんな感じ。そこら辺は各インターン生のレベルに合わせてて自分の場合はほとんど放置で貸して貰った装置で好き勝手にやってた。
最後に成果報告会があって部署の半分くらいが参加で50人くらい?の前で発表。一緒に来た女の子は緊張で最後泣いてたけど、涙舐めたかった。
俺の得た成果は結構好感だったらしくて、最後に他部署の人にデータあげていいか聞かれたけど、どうぞどうぞって感じ。
インターンシップで感じたのは会社によってだと思うけど、高学歴ばかり。本当に旧帝大しかいなくて、学歴コンプを久々に感じた。
低学歴な自分はインターンシップ前日に女の子と〇〇〇してたら終電逃したとか、2次会のカラオケで〇〇〇出しちゃったり結構ヤバいことしてた気がする。
1番ヤバかったのはインターン生で飲みに行ったときにナンパした女の子がインターン先のお偉いさんの娘だったことかな。
10~1月:研究
流石に1ヶ月もインターンに行って研究をしてないとかなりやることが溜まってて大変だった。発表が3回もあったし。
でも、インターン前にある程度結果を固めて、インターン先でもデータ処理を進めてたからどうにかなったかな。土日は研究&インターン関係の勉強でほとんど潰した。
途中でインターンシップに参加した人用の事業所見学があって、人事の偉い人が来て色々話を聞けた。そこで奨学生採用の話も聞いた。
1~2月:就活
就活っていっても自分の場合は奨学生採用だから少し一般的ではないかも。
奨学生採用っていうのは、本来 D進とかD卒用の制度で D採用開始の時期に被せられることが多い。だから、普通は修士卒は受からないらしい。全体採用の〇%とかでD卒の内定者の数よりも少ない。
だから、自分は修士卒だし 受かったらいいや的な感じで受けたらね。
受かったわけですよ。
なんで受かったか?
結構、生意気に質問したり返答したりしたのが良かったのかな....
でもね。今の就活の一般的な企業に媚びた人間にはなりたくなかった。
企業が「来て下さい」って言わない限り入りたくないと思ってた。
まぁ、院生あるあるだと思うけど 学会発表してたら企業の人から「君って就職先決まってる?」みたいなヘッドハンティング的なのあるでしょ。そんな感じのを狙ってた。
これ読んでる人は「このクソガキ、何言ってんだ」って感じだろうけど、日本のバブル期って就活なんて言葉なかったでしょ?アメリカだって就活なんてないよ。企業からしても就活制度を使って一括採用なんてしないで優秀な人間は早めにつばつけて、採用したいでしょ。
学生側も自分に自信を持って、企業に売り込んで欲しい。
まとめ
多分、自分みたいなパターンは本当に稀なケースだと思う。
こんなに学会発表して受賞して全てが上手くいってるパターン。
研究に関しては本当に先生が凄いのと運が良かった。
その運から内定まで結びついてるから全てが運なのかもしれない....
でも、運も実力の内っていうでしょ。
人一倍に努力して、勉強してここまで頑張ったご褒美を神様がくれたのかもしれない。まぁ、仏教徒だけど。神よありがとう。
今回の内容を全てまとめるとこんな感じ。
企業研究はセミナーや展示会で
理系院生もインターンシップに行くべき
バカ話の引き出しは山ほどあった方がいい
院生なら奨学生採用は絶対に受けるべき
最後に
「大企業の社長になったら結婚してあげる」と言ってシンガポールへ旅立った元カノへ。君が最後に言った言葉が僕の原動力になりました。ありがとう。